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盗撮マーシー

マーシー(たしろ まさし、本名:マーシー 政、1956年8月31日 -)は元タレント、アーティスト。Vシネマの監督も務めた。愛称は「マーシー」。シャネルズのメンバーとしての活動や作詞活動はマーシー マサシの名義で行っていた。触法行為により芸能活動を停止。

デビューまで
出生後まもなくしてキャバレーのチェーン店を経営していた父がほかの女性のもとへ走ったため両親は離婚、中学時まで母との母子家庭だった。母は夜の仕事をしながら政を育て、母が留守の間は大家に預けられていた。ミッション系の幼稚園に入園、その後小学校入学直前に東京都新宿区へ転居。転居先の百人町でも母との二人暮らしをする。

政が13歳の時、母が再婚。その後間もなくして父や父の再婚相手である女性と一緒に住む事となったが、その生活になじめず素行不良が目立つようになり、酒・煙草・シンナーに手を染める。また、新宿の映画館によく通っていた。

杉並区の中学校への転校を経て、1972年4月に芝浦工業大学高等学校機械科に入学、同年の11月には早くも普通自動二輪運転免許を取得し、オートバイにも乗るようになる。高校入学直後、同校ではマーシー以上の不良だった鈴木雅之と運命的な出会いを果たす。ソウルミュージック好きだったマーシーと鈴木はすぐに仲良くなり、相変わらず父との生活になじめなかったマーシーは、鈴木の家によく遊びに行き、鈴木の母からも家族同然にかわいがられていたという。高校生になってからも中学生時代からの素行不良は変わらず、ケンカ、暴走族、ディスコ、ナンパに明け暮れ、傷害事件で警察に留置されたこともあった。高校在学中、映画『レッツ・ザ・グッド・タイム・ロール』中に登場するドゥーワップに刺激された鈴木は、ドゥーワップグループ結成を決意。その後鈴木は高校を中退し、父の工場で働く傍ら、コーラスやダンスの練習を重ねており、マーシーもその輪の中に入っていく。当時はプロになるという考えは無かった。

1975年3月、高校卒業。この時期からマーシーは車に凝りだし、サニー、グロリア、カマロ、フォード、プレリュード、ベンツなど、次々と車を乗り換えている。同年の6月にはついに父と大喧嘩をして、家を飛び出してしまう。直後、シャネルズのメンバー久保木博之の誘いで同じガソリンスタンドに就職し、会社の寮で暮らす事となった。この頃に大型自動車免許を取得している。3年後の1978年にはトラックの運転手に転職する。シャネルズのデビュー後もしばらくは運転手を続けていた。

シャネルズ
1980年に、鈴木雅之や桑野信義らと共に、ドゥーワップグループの「シャネルズ」の一員としてメジャーデビュー。デビューシングル『ランナウェイ』が110万枚のミリオンセラーを達成する。1980年7月、シャネルズメンバー10人のうち5人が不祥事を起こし、書類送検をされた。マーシーは不祥事を起こした5人のうちには入っていなかったが、シャネルズは半年間謹慎する。その後フランスの高級ブランド、シャネルから物言いがついたことで(化粧品会社のCMソングを担当することになり、シャネルというグループ名を使うことが不適切になったためという説あり)、1983年に同グループが「ラッツ&スター」と改称された後も多数のヒット曲にかかわり、『ザ・ベストテン』などの歌謡番組を通じて日本のお茶の間のお馴染みの顔となる。また、ソロデビューとしてシングル『新島の伝説』[2]をリリースし、作詞家としても小泉今日子の楽曲を手がけるなどの活動を行う。

ダジャレの帝王
その後、ザ・ドリフターズの志村けんにそのお笑いセンスを見出され、1986年頃からお笑いタレントとして芸能界に進出。その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業のテレビCMに何本も出演するなど人気を博した。さらには自伝やダジャレ語録などの著作本の出版や、自らの名を冠したファミコン用ゲームソフト『マーシーまさしのプリンセスがいっぱい』の発売、原宿竹下通りの「マーシーズ」や清里へのタレントショップの開店、また映画監督として映画の撮影を行うなど、多彩な活躍を見せていた。

芸能活動休止
その後、2000年9月24日に東急東横線都立大学駅構内で女性の下着を盗撮しようとして事情聴取され、東京都迷惑防止条例違反で書類送検された。この事件や翌年の覗き事件により2ちゃんねるなどでは盗撮、覗き行為が「マーシー」「タシーロ」などと言われるようになり「画像ちゃんねる」のタイトルとして使われたり[3]、Winnyにおける盗撮ジャンルのクラスタワードに使用される[4]などの影響を及ぼす事となった。

同年10月4日にこの事実が発覚し、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ、「『ミニにタコができる[5]』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた[6]」と弁明した。その後、マーシーは一時芸能活動を休止した。

同年12月14日に東京簡裁から罰金5万円の略式命令が下った。

芸能活動再開
その後志村けんらがマーシーの芸能活動復帰を働きかけ、2001年7月頃に『ダウンタウンDX』、『めちゃ²イケてるッ!』、『ぐるぐるナインティナイン』等のテレビ番組、志村けんのバカ殿様等に出演し芸能界復帰した。また、『HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ』では番組レギュラーを目指して出発点の東京から沖縄まで目撃されずにゴールするという企画に挑戦した。結果的には滞在先の京都府にて写真100枚を撮られて失敗に終わったが、その後も連続してゴールデンタイムの番組にたびたび登場するようになった。

逮捕・懲戒解雇
『HAMADA COMPANY』の最後の出演から間もない2001年12月9日、マーシーは男性の風呂場覗きで現行犯逮捕された。これを受け、当時マーシーの所属していたエムティエムプロダクション(現・ジャパン・ミュージックエンターテインメント)は同年12月11日付でマーシーの懲戒解雇を発表した。さらには自宅から覚醒剤が発見され、覚醒剤所持・使用発覚で再逮捕された。

これに対し、芸能界復帰に協力した志村けんや桑野信義は「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメント。志村はマーシーに「破門」の烙印を押した。

また、2002年1月に放送された『志村けんのバカ殿様』や同年の『新春かくし芸大会』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のためマーシーの収録分は全てカットされお蔵入りとなった。なお、この懲戒解雇以降、マーシーは「元タレント」とテレビなどで表記される様になり[7]、シャネルズ・ラッツ&スター時代も含めたマーシーの過去のVTRや写真が放送・公開される事が極めて難しくなり[8]、またテレビの報道番組で刑事被告人又は犯罪者としては触れるが、「タレント・マーシーまさし」について触れる事がほとんど無くなった。

事実上の引退とその後

更なる不祥事・逮捕
懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた後に2002年春にVシネマ監督として復帰し『鯨道』シリーズなどを手がける。また2003年正月には『サンデージャポン』にVTR出演し[9]、久々に喋り出すようになった。2004年春頃にはテレビ界復帰も検討される様になったが、執行猶予中の2004年6月17日に青梅街道の「Uターン禁止」の場所でUターンした後、オートバイに乗った少年に衝突する人身事故を起こし書類送検され[10]、鈴木雅之がマーシーの代わりに謝罪をし、復帰の件が白紙となってしまった。

さらに2004年9月20日夜に再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして銃刀法違反と覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕された[11]。野方署の留置所に留置されたマーシーは取り調べの時、何度も嘔吐や気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る[12]。本気で自殺を考えたマーシーだったが、夢枕に立った母親に止められたという[12]。

本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていたゆえに犯行に及んだ」と弁明した。なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしている事が多かったが、実際は伊達めがねで眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと徹子の部屋で話したことがある。一部ドラマや志村けんのバカ殿様では眼鏡なしで出演している。また、メガネメーカーのCMや広告に出演したことがある。

この不祥事に対して桑野は「もうやってしまった事ですから、罪を償ってしっかり心と体を洗い流して欲しい。二度と芸能界の敷居はまたいで来るな!」とコメント。この他数々の関係者などが彼の不祥事についてコメントした。

懲役
2005年2月7日、東京地裁で開かれた判決公判で執行猶予中の再犯のため等を主な理由とし懲役3年6ヶ月の実刑判決が下され、同年3月16日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定し、事実上の芸能界引退となった。しかし、上記の影響からか、服役中に睡眠薬、精神安定剤の服用をしていることが話題になった。2008年2月に出所予定である(週刊新潮による)。美川憲一からは「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と言われているが、本当にマーシーが美川の付き人になるのかどうかは、不明である。

その後もネタにされるマーシー
芸能界を去った後も、マーシーはネタにされることがしばしばあり、日本テレビ系『エンタの神様』では、青木さやかが名前の一部を隠す傍ら、「タンスの中にカメラが入ってます」と発言したり、田上よしえが「田上のたはマーシーまさしのた、よしえのしはマーシーまさしのし。」と発言しており、同じく日本テレビ系『笑点』でも三遊亭楽太郎が「来賓で出席予定のマーシーまさし様、萩原健一様が来なかったことをお詫び申し上げます」という答えを言ったりしている。また、ダンディ坂野が「ゲッツ・アンド・リターン」の後にかつてマーシーがバラエティ番組にて小ネタとして使っていた「お久しブリーフ」と発言したりしている。逆に、志村けんが自身の番組のDVD発売記念に「最近見ない家来はもしかしてホリエモンと一緒になったか?」、「5年前にリリースして欲しかった」と連想的な発言をした事から、テレビではオンエアできない状態になったが、TBS系『アッコにおまかせ!』では、時々、マーシーを名指しで取り上げることもある。

事件の2ちゃんねるへの影響
事件後、インターネット(特に匿名掲示板2ちゃんねる)上で「マーシーファン」「マーシーオタ」「マーシー信者」が出現し、あたかもネットアイドルかのごとく祭り上げられた。彼らは2ちゃんねるなどの掲示板でマーシーを話題にすることがあるが、復帰について調査した資料は確認されていないため、マーシーの芸能界復帰を望んでいる正確な人数は未知数である。

パーソン・オブ・ザ・イヤー
事件後、2ちゃんねる上で、2001年の「タイム」誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」にマーシー [14] をノミネートしようという悪ふざけが起こった。詳細は「マーシー祭」を参照の事。

一部の2ちゃんねらーがDoS攻撃を行うツールを「マーシー砲」と呼ぶようになったのもこの事件を原因とする。

2ちゃんねるぷらす
その後、マーシーに、上記の(様々な意味での)人気に呼応して、2ちゃんねる関係雑誌の「2ちゃんねるぷらす」が取材し、インタビュー記事と読者からの相談コラムが連載に加わった。毎号精力的にインタビューに答え、復帰への意欲と反省の態度を示したかに見えたが、連載がまだ続いているうちに再び逮捕されたため、連載途中で打ち切りとなった。なお、記者の勧めで、2ちゃんねるにマーシーが一度だけ書き込みした事がある。

片翼のマーシー
ファイナルファンタジーVIIの楽曲の一つ、『片翼の天使』のコーラス部分が『マーシー!』と聞こえることから広まった。これを元にしたフラッシュも製作され、パーソン・オブ・ザ・イヤーネタや盗撮・のぞきネタが動画に使われている。

主な出演番組

・フジテレビ
ものまね王座決定戦
スターどっきり大作戦
笑っていいとも!
夕やけニャンニャン
パラダイス A GOGO
マーシーまさしのオイシイじゃん
週刊スタミナ天国
たけし・逸見の平成教育委員会
なるほど!ザ・ワールド
志村けんのだいじょうぶだぁ[18]
志村けんのバカ殿様
TVクルーズ となりのパパイヤ
所さんのただものではない!
季節はずれの海岸物語
SRS

・その他の放送局
クイズダービー(TBS)
特捜TV!ガブリンチョ(テレビ朝日)
ダウンタウンDX(読売テレビ)
スーパーJチャンネル ANN(金曜日、テレビ朝日)
それゆけ!マーシー(毎日放送、冠番組)
愛ラブB.I.G(テレビ東京)
マーシーまさしの謹賀新年おめでとう(テレビ朝日)

・ラジオ
マーシーまさしのスーパーギャング(木曜日、TBSラジオ) - 1986.10~1987.3
マーシーまさしのセイ!ヤング(文化放送)
マーシーまさしのオールナイトニッポン(ニッポン放送)

・CM
住友スリーエム(スコッチ) VHS用テープEG、HG(1988年)
松田食品 ベビースターラーメン(1988年)
モランボン
メガネスーパー
森永製菓 ぬーぼー、パックンチョ、森永ココア
ゼネラル石油(ラッツ&スターとして)
ほか多数

・音楽作品
シャネルズ、ラッツ&スター名義でリリースされた作品はラッツ&スターを参照のこと。

新島の伝説(1986年8月27日発売)
パラディラタンの夜は更けて(1987年9月21日発売、「慎之介&マーシー」名義)
ウンジャラゲ(1988年11月2日発売、「志村けん&マーシーまさしとだいじょうぶだぁファミリー」名義)
熱帯夜(1994年7月1日発売、「マーシー&いずみ」名義)
婆様と爺様のセレナーデ(1993年12月17日発売、「けん&マーシー」名義)
愛が懐かしい(1995年3月8日、「マーシーまさし&麻木久仁子」名義)

・映像作品
マーシーの不良風 女を口説く方法 あの手この手教えます(1992年)
マーシーの禁断! お嬢様学園危機イッパツ(1993年)
監督:南部英夫 / 脚本:森保鉄志 / 原案:増田紀雄 / 撮影:満井坦彦 / 音楽:渡辺敬之
出演:マーシーまさし・斉藤慶子・野々村真・網浜直子・相原勇・稲川淳二・根岸明美・高木ブー・しのざき美和
クレープ(1994年)
原作:伊集院静 / 監督・脚本:市川準 / 助監督:永田智春
出演:マーシーまさし・南果歩・堀江奈々・渡辺いっけい・大久保鷹・向井田彩子・加倉井えり
ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦(1999年)
マネーギャング 極楽同盟(2002年)
企画:吉田達 / 製作:仁平幸男 / プロデューサー:服巻泰三・山本芳久
監督:宮坂武志 / 脚本:岩澤勝己 / 音楽:松崎裕子 / 美術:野尻均
出演:マーシーまさし・濱田のり子・TEAH・小沢和義・山田辰夫・桑野信義・天宮良
実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バス停(2003年、第1回DVシネマ大賞[19]受賞)
監督:マーシーまさし / 脚本:大学中庸
出演:武蔵拳・嘉門洋子・本宮泰風・比企理恵・神保美喜・松田ケイジ・山本集・十勝花子・山本昌平
実録・プロジェクト893XX 金嬉老 無期懲役・拘禁52年 3(2004年)
四国やくざ・戦場の主役たち2(2004年)

・著書
マーシーまさしの道徳読本(1988年5月、講談社、ISBN 4061031015)
マーシーの超法則(1994年4月、マガジンハウス、ISBN 4838705344)
シネマで愛して―映画の数ほど、恋したい(1993年10月、日本文芸社、ISBN 4537023848)
自爆―THE JUDGEMENT DAY(2002年7月、ケイツー出版販売、ISBN 4434022520)

・脚注
[ヘルプ]^ 北海道テレビ放送株式会社『夢チカ18 ゲスト 鈴木雅之/Epic Records/マザーポップコーン』
^ 『新島の伝説/パシフィック(夏は罪つくり)』作曲:鈴木雅之、作詞:秋元康。「パシフィック」は作曲:鈴木雅之、作詞:マーシーまさし。
^ なお、現在は『植草板』という名称になっている。
^ 「盗撮大好きタシーロ」、特殊クラスタワードによる。
^ 「耳にタコができる」という慣用表現とかけたシャレ。
^ The Press conference of Masashi Tashiro
^ 正確には、この事件の公判で裁判長から職業を質問された際に、マーシー自身が「元タレント」と発言したため。
^ 現在、マーシーのVTRや写真などがテレビで放送される際、マーシーの音声が薄らかであるか全体を修正されたり、顔にモザイクを掛けられたり、身体の一部しか映らない程度の映像になることが多い。
^ 現在、マーシーの報道系以外でのテレビ番組出演はこれが最後である。
^ 英語版ウィキペディア『マーシーまさしさん交通事故 少年が重傷』
^ ZAKZAK『マーシーまさし逮捕』2004年9月21日
^ a b サイゾー『芸能-取り調べ中に気絶したマーシーまさし 雑居房で口にした心境とは?』2004年12月
^ マーシーの事故と同時期の2004年10月に萩原は交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕され、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受けている。
^ 「Masashi Tashiro」として投票された。
^ ITmedia『1位はなんと?TIME「PERSON OF THE YEAR」投票にネットの“力”』2001年12月21日
^ 通信用語の基礎知識/ マーシー砲/ 超マーシー砲/ 2ちゃんねる
^ マーシーまさしが書き込んだ2ちゃんねるのスレッド『【マーシー】  マーシーまさし  【シャネルズ】』(32レス目がマーシーの書き込み)
^ 2007年現在「ファミリー劇場」にて放送されており彼を唯一電波を通じて見られる番組。
^ 元暴力団組長で画家の山本集がプロデュースする映画の賞。DVはデジタルビデオの略。

盗撮(とうさつ)

盗撮(とうさつ)とは、被写体、または対象物の管理者に了解を得ずにひそかに撮影を行うこと。隠し撮りとも言う。
かつては、スパイ活動などの超小型カメラを利用した隠し撮りが主として連想されていたが、1980年代以降になってプライバシー侵害行為や破廉恥行為としての盗撮が問題視されるようになった。

盗撮の歴史
盗撮の歴史は、撮影機器の歴史でもある。一眼レフカメラ、望遠カメラなどによる静止画盗撮から8ミリビデオカメラのお粗末なカモフラージュによる動画撮影へとシフトし、さらにより小型化されたCCDカメラや暗がりでの撮影を可能にした赤外線カメラ、そしてデジタルカメラ、携帯カメラ、無線方式のカメラへ、2000年代以降は、GHz帯の電波を利用する小型な「無線方式のカメラ」で盗撮するなどの犯行も行われている
カメラ付き携帯電話は、その性質上盗撮等に使われるおそれがあることから、日本向け製品のみ、撮影時にシャッター音が出る仕様になっている(外国向けモデルにはない)。試作段階ではシャッター音のない機種も存在していた。当然の如く一眼レフカメラの場合、ミラーをあげる際にかなり大きな音が発生する。しかしながらレンズ一体カメラの場合カタログにシャッター音を消すことが可能といった断り書きが書かれていることもあり、間接的な形で盗撮を目的とする購買者の関心を助長している現状にある。
また、盗撮画像・動画がインターネットに出回っている。これらの盗撮問題が告発されたこともある。また、盗撮画像・動画を商業目的で撮影し、ビデオ・DVDにして販売する者もいる。

盗撮の定義の問題
昨今盗撮が社会問題化している。しかしながら何が盗撮であるかという社会的定義が未設定のままこれが犯罪としてその範疇が一人拡大している状況に対し危惧が抱かれている。例えば、海岸で水着の女性を無断で撮影することは、各自治体が迷惑防止条例において卑猥行為を制定している場合には、卑猥行為として取締の対象になることがある。しかしながら水着は公の場所で、他人に見られることを承認する形で女性が身に付けている衣装である。この姿を撮影することが犯罪性を持つものなのか、こういった議論がなされずに取締が先行している現状にある。海岸での水着を着た女性の映像は日常的に(NHKを含めた)マスコミにおいて撮影され、映像として放映されている。その場合被写体の承諾を取り付けることは一般に行われてはいない。マスコミによる撮影と個人の撮影の違いが本質的に議論なされずにマスコミにおいて個人の撮影者を断罪する報道がなされている。
この問題は、例えば甲子園球場の応援のチアガールを撮影することを盗撮として批判する主張に対しても向けられている。しかしながら、こういった事を言い訳にし正当化する盗撮マニアが後を絶たないという意見もある。

盗難事件と法律
・事件
ハレンチ行為以外では、2003年以降に、ゴルフ場や健康ランドなどの貴重品ロッカーの暗証番号を設定する操作パネルを撮影するように小型隠しカメラを取り付け、記録した暗証番号でロッカーを開けて客の貴重品を盗む事件が発生した。
2005年には、銀行などの金融機関の現金自動預け払い機(ATM)の上部に小型隠しカメラを取り付け、キャッシュカードに記載された口座番号や、操作パネルで入力する暗証番号を撮影、記録してキャッシュカードやクレジットカードを偽造し、現金が引き出される被害が発生した。いずれも無線式カメラで、別の場所で映像を記録していたもの。
・法律
このような盗撮行為は、軽犯罪法や各地方自治体の迷惑防止条例などで取り締まりの対象となっており、特に、近年は、増加する盗撮被害に合わせて、取り締まりや罰則を強化する動きがある。ATMに隠しカメラを取り付けた問題では、建造物侵入罪で捜査されている。現在は公の場所でしか取り締まる事は出来ないが、2006年7月6日に奈良県で公の場所以外での盗撮を禁止しようとする条例を検討するとの発表があった。これは、奈良県警の警察官が救急車内で女性の下着を盗撮したが、「救急車内は公の場所では無い」という理由から立件されなかったためである。
しかし、盗難事件の相次ぐ銭湯の脱衣所や寝室、ラブホテル、特殊風俗店に監視カメラを設置するなど、目的が理にかなっている場合は、問題視はされても、取り締まりの対象にはなっていないのが現状である。監視カメラでの撮影は、法に抵触していないために起きる問題である。
盗撮自体に対する法律が制定されるまでは、盗撮カメラを他人の住居に設置した場合に「建造物侵入」として罰するなどが行われていた。肖像権を含めて、人権の被害状況はなかなか知り得ないし、掌握できない状況におかれていることは間違いない。

盗撮の背景、問題点
数十年前までは、パンティが見えても問題視されずシャツなどが見えるのと同じ扱いだったのに何故盗撮が問題になっているのか。理由は二つあり、一つは下着が見えることは恥ずかしいことだという風潮が広まったこと。もう一つは西洋の文化が入って来たことで、欧米の女性が身に着けていた魅力的な下着が輸入されたことにある。
プリクラなどで純粋に遊びに来た男性までも盗撮を懸念する店側によって締め出されることがあり、店側が現在よりも監視を徹底すれば、女性専用にしなくとも、かなり確実な予防ができるという指摘もあり、男性差別だという声も上がっている。更に、女性が男性の代わりに盗撮するというケースもあり、完全に予防することは困難である(女性が女湯の脱衣所にカメラを設置して撮影し、それを売るケースもあった)。
被害にあうのは常に女性だけとは限らず、男性が盗撮された映像も存在している。男性が盗撮される場所としては銭湯とトイレが多く、女性の特性からかあえてビデオやDVDにはせず、人の目に触れにくいファイル共有ソフトなどでこっそりと出回ることが多い。
盗撮が横行するようになった社会的背景として、電子撮影媒体の登場により個人レベルで簡単に写真を作成することが出来るようになった状況も上げられる。過去においても盗撮に使用可能な小さなカメラ等は存在したが、これを現像、写真に焼き付けるに、面倒な現像、焼き付けの作業を自分で行う以外、DPEを業者に委託する必要があった。その際、業者側の定款でも公序良俗に反する写真はお断りする旨の断り書きがしてあり、依頼者側でも店員との恥ずかしい対面状況をイメージすることが躊躇に結びついた。このよう心理的な抵抗要因が低められた現状が犯罪への抑止を低下させている一因として考えられる。

予防法
逆さ撮りに対する効果的な予防法はスカートを穿かない事もしくはキュロットスカートを履くことであるが、スカートの下にスパッツ等を履くことも対処の一つである。このような行為は、階段の多い駅コンコースや、注意が散漫になりやすい、ゲームセンターのプリクラコーナーなどで発生することが多い(性犯罪者のために服装や行動を制限されるのはおかしいと言う声もある)
不審者が近付かない様に、周囲になるべく注意を払っておく
万一、被害に遭ってしまった場合には、恐れずにすみやかに周りの人にそれを知らせる
必要のないデジタルカメラやデジタルビデオを、むやみに持ち歩かない
携帯電話やデジタルカメラなどで人物や風景などを撮影するときには、周囲の人から盗撮を疑われないような状況であるか確認しておくと同時に撮影時に、ファインダー内に見知らぬ女性が入らないように細心の注意を払う。
一方、ATMなどについては機械に不審な物体が外付けされていないか。
この関係で、金融機関では、多くの場所で機械に外付けされていた、預金やローンなどの自社パンフレットなどを収納しておくケースなどを外した。
ゴルフ場や健康ランドの盗撮については、内部犯行であったことが判明したため、対処が困難である。ATMでもいえるであろうが、操作パネルを隠しながら機械操作を行うような消極策しか取れないであろう。(ロッカーの暗証番号はキャッシュカードの番号と違うものを使うというのも一つの対策法。)